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2005年7月

2005.07.29

今日は送別会

今日は職場の送別会。
飲み友達が旅立ちます。

さみし〜な〜。

2005.07.26

大会が

ダンナのボディビル大会が近づいてきている。
休みの度にベランダで焼いてきた甲斐もあって、段々色黒になってきた。
筋肉のカットが出てきて、血管が浮き出てきた。(これが私は怖いんだよ〜)

大会では規定のポーズをとる他にフリースタイルの時間があるらしい。そこで好きな音楽をかけて、好きなポーズをとってアッピールをするんだそうだ。
で、何の音楽をかけるんだという事で、いろいろ模索していた。

ダンナは今大好きな仮面ライダー響鬼の音楽をかけることに決めたらしい。
以前にも書いたけど、これってば私が今ハマっているガンダムSEED DESTINYの音楽も担当している佐橋さんが「響鬼」の音楽も担当している。太鼓がカッコいいのだ!!

音楽は決まったのだが、果たしてそれに合わせてどうしたらいいのか、実はダンナは分かっていない。ダンスを踊る訳でもない。ただポーズをするんだけど、どうしたら自分の自信のある部分を効果的に見せられるかって事なのだ。

結構面倒そう。
バレエでも見せたろか。

2005.07.22

教育相談

学校は夏休みが始まっている。
しかし、夏休み中だが教育相談というのがあって、学校へ出向いて先生のお話を伺わなければならないのだった。
それというのも今年からうちの地域は、小中学校が2学期制になったからなのだった。
夏休みには入ったが、前期の授業はまだ終わっていない。なので、一応学業の成績と言うか状態を先生が話をしてくださるのだった。

昨日と今日、三人の娘の担任の先生からそれぞれ話を伺った。

ちょっとため息が‥‥。

子育てって難しい。
私なんかいい加減にやっているもんだから、子どももやっぱりいい加減にしか育たないのだった。
すまんのう、娘たちよ。

2005.07.18

もう終わり?

3日間もあった連休は今日で終わり。
早かったな〜。
この連休中は生活リズムが乱れ、私はむちゃむちゃ良く寝た。気持ちいい〜。
ダンナもちょっと私に今回甘口で、寝ている生活を何となく容認してくれていたのだった。申し訳ない。

そして、いつもと違うシフトに意識が入っていた私は、連休前に書きたいと思っていた事を一切忘れ、やりたいと思っていたであろうサイトの更新も忘れ、なんか自分じゃないみたいな生活を過ごしたのだった。
それはそれで面白かった。

一番上の娘の臨海学校の準備とか、子どもと一緒にゲームとか、家で焼き肉パーティとか、子どもとケーキ作りとか。
普通のお母さんみたいだ‥‥(苦笑)
休みが終わると明日から今度は日曜日までずっと仕事だ。(日曜日も仕事なんだよ〜)
子どもの夏休みも始まる。
それはそれで地獄だ‥‥。

やっぱり寝て体力温存しておこう。

2005.07.16

連休前

昨夜は連休前で解放されていた。
だって今年、初めての三連休。
思えば、お正月もGWも私は仕事でした。
連休とは縁のない生活です。(涙)

で、解放されていたので、雷のなる土砂降りの中歩いて、行きつけのパスタ屋さんへお酒を飲みに家族総出で出かけたのだった。
ダンナも昨夜は解放日。大会に向けてダイエットをしている毎日をちょこっとだけ緩めた。(大会3週間前だけど)

おいしかった〜。
納豆オムレツもスモークチキンも若鶏のバルサミコ酢焼きもオリジナルカクテルも。絶品サラダは2皿食べちゃった。
子どもたちはパスタを堪能してたけど。(つまみもつまんで♪)
楽しいひとときでした。

2005.07.14

厄日

書く事が沢山たまっている。
沢山あるのに、時間がない。ホントに余裕が無いらしい。
今日なんか職場で、昨日発言した事をすっかり忘れていて、また今日同じ事を発言したらしい。
「MIWAちん、それ昨日も言った。」
そう言われたのだが、全然思い出せない。
ホントに綺麗に忘れ去られていた。
ものすごくショック。
自分がやった行動が思い出せないなんて。
痴呆のある老人のように、逐一メモでもとらないと、ご飯食べた事も忘れるんじゃないか?

という訳で、忘れないうちに書いておこう。
一昨日の話になる。
一昨日、私は残業だった。
これは予定されていた残業で、うちの職場は一ヶ月単位で残業が組まれる。大体月に20時間くらい。この残業は月初めの保険請求の為の10日間ほど続く残業週間とは別にこのような残業がある。
予定されていた残業は家のカレンダーにでかでかと書かれ、ダンナも子どもも「今日はお母ちゃんの居ない日」というのが一目で分かるようになっている。

私はそんな感じなのだが、ダンナの方の残業が予測がつかない。
その予測のつかない残業が一昨日、突然やって来たのだった。

我が家は共働きをしている割には子どもを寝かす時間がまぁ早い。(というか普通)
小学生である娘たちには9時には遅くても布団に入れる。(その後、ホントに寝ているのかどうかは怪しいけど)という事は、夕飯は7〜8時には食べるという事なのだった。
なのに、私もダンナもこの分では帰りが8時を過ぎてしまう。

私としては、そんなのご飯も炊いてあるんだし、勝手におかずを作って子どもたちだけで先に食べさせれば良いと思った訳だ。だけど、ダンナは子どもたちだけだと野菜が足りなくなるから、ばあばに連絡してくれと言う。それを携帯のメールに5時前に送ったようなのだが、私は忙しくて見ている間がなかったのだ。(大体病院は携帯禁止なんだよ〜)
ダンナもダンナでそのメールを読んだか5時過ぎになってから病院に電話してくるのだ。
知るか〜!!

5時過ぎると残業者を置いてみんなはさっさと帰るので、電話の応対から窓口対応、会計窓口、何から何まで受け持たなければならない。席を外すなんてとんでもなくなるのだ。
なのに‥‥‥。

仕方が無いから、こっそりばあばに電話する。
するとばあばは遠くへ出かけていると言う。だけど8時過ぎに帰る私よりは早く帰れるはずだから任せておけというので、任せた。

残業は、10年経っても新人のような男性職員と一緒。
この30過ぎても高校生と間違えられるような彼は、仕事の段取りが組めない。言われた事を言われたままにしか出来ず、しかも遅い!!
くらくらしながら、それでも残業をする。頑張る。

頑張ったお陰で、7時10分くらいには何とか終わりのめどが立ってきた。
彼が普通の職員なら、「ぼくが今日当直ですから、残りはやっておきますよ。」とでも言いそうだが、彼は絶対にそんな事は言わない。(大体、用事がある時にも人の事が呼べなくて、その人の周辺をうろうろし、こちらから「何か用?」と声をかけなければ、話も出来ないような人なんですよ。いい人なんですけどね。)
もう彼に任せて、後で何かあっても嫌なので、自分できちんと最後まで仕事を終わらせた。

で、急いで家へと向かう。
駐車場で自宅に電話したら、子どもはまだご飯を食べていないと言う。しかも家の水が出なくなっているというのだ。
断水の連絡は受けてないけど‥‥と思ったら、ばあばから電話があって、今日業者さんを入れたら、隣のばあばの家のトイレ工事をする際に私の家の水道の元栓を業者さんが閉めてしまったと言う。で、トイレの水も流れないんだよ〜。と言うのだ。

なんじゃそれは!
しかもばあばはまだ帰ってこないと言う。お腹がすいたよ〜と言われた。

もう必死で帰る。
今日は何故か交通事故の多い日だったな〜と思いつつ、(ホントにその日は事故の救急車が非常に沢山搬送されてきたのだ。)飛ばして帰る。

帰ると、腹をすかせた子どもが三人散らかった部屋に居た。
こっちもこの時間までご飯も食べずに残業している。おまけに疲れている。
言わなきゃ出来ない彼と子どもがだぶったのか、つい子どもを叱ってしまう。
なんでここまで何にもしてないんだ!と。

娘は小学6年生ひとりと4年生ふたり。
私自身も親が共働きで、いわゆる「鍵っ子」だった。4つ離れた弟とご飯をよく作ったものだ。
うちの娘たちにも小学一年生のときから、お米とぎを教えご飯は炊けるように教え込んである。冷蔵庫には食材もある。なのに、お腹がすいてるのに何で何にもしないんだ。三人もいればもう少し知恵を出し合って何とか出来んのか!せめてご飯を待っているなら、部屋ぐらい掃除しとけ!と怒ってしまったのだった。

酷い親である。

子どもは「だってラーメンを作ろうと思っていたのに、水が出ないんだもん」と言う。
「ご飯があるだろ」と言うと「知らなかった」と言う。
お釜の中を見ろ〜!!とやっぱり怒りつつ、水を使わなくて良いものを取りあえず作る。既に時間は8時をまわっている。
作っていると、ばあばから電話が来た。
「今、お弁当をいっぱい買って向かっているから。あと15分待ってくれ」とのこと。もう作ってるわい。
怒りが収まらないまま、作って食べ始める。
お腹が満ちてくると、怒りが少し収まった。
15分で来ると言ったばあばは30分経っても現れない。
既にご飯は食べ終わってしまった。

まだ来ないのかな〜?と玄関の方に行くと、何故か水の音がする。
嫌な予感がしつつ、トイレのドアを開ける。すると水がざあっと足元を流れた。
業者がいつの間にかやってきて、水道の元栓を開いていたのだった。
運悪く、末の娘がトイレの水が出なくなった時に詰まったのかと思ってタンクのふたを開けて中を見たらしい。そうしたらタンクのふたが自分では閉められなくなってしまったらしい。そしてそのまま放置しておいたのだった。そうしたら、タンクから水が噴水のように吹き出していて、トイレが水浸しになっていたのだった。

業者も娘も、一言言ってけ〜!!

また怒りがぶり返す。
とにかく水を止めなければならないと、ずぶ濡れになりながらタンクのふたを閉める。
ばかも〜んと娘を叱りながら、水たまりと化したトイレの床を拭いていると、玄関からチャイムが鳴った。業者さんがやってきて、「お水、でました〜?」と聴いてくる。
水浸しになってるよ!!

そして、何もかもが終わった頃に「お弁当買ってきたよ〜」とじいじがやってきたのだった。既に9時。もう疲れ果てていた私は、じいじにもつっけんどんな態度。
でも、彼に罪は無いのだった。

ダンナは、全てが終了し、子どもが寝る為に子供部屋に行ってから帰ってきた。
私の怒りはまだ持続していたのだが、ダンナはダンナですごい勢いで怒っていた。そもそも彼の残業は社長の手際の悪さが原因だったらしい。ダンナも私が残業である事は先月から分かっていた事なので、ダンナなりに悪いと思う罪悪感が余計に怒りをかき立てていたらしい。
しかし、彼は自分が怒っていた事で、私からの怒り玉を受ける事を逃れたのだった。

そして、ダンナの怒りの勢いに自分の怒りを忘れてしまった私は、その後ものすごい自己嫌悪に陥ったのだった。勿論自分の態度の悪さにだ。
ダンナはその時間でも、まだ夕飯を食べていなかったので、それからダンナの分のご飯を作って、寝床に入ったのは12時をとうに回っていた。
もはや眠れなくなった私は、その日自己嫌悪に陥りながら悶々と過ごしたのであった。

疲れる一日だった。

2005.07.12

ハロは好き

050712_082001.jpg

ガンダムな車

別にガンダム好きじゃ無いのに〜。050712_082101.jpg

2005.07.10

同窓会

体調が悪いと、何にもする気が起きないし、出来るんなら体調が悪いとは言えないだろう。<?
とにかく、もうパソコン前に座るのも嫌だったんだから、辛かったんだろうな。

それはさておいて、
昨日は高校時代の有志に寄る同窓会が行われた。
実は私高校時代の友人がほとんど思い出せない。もしかしたら友達が少なかったんじゃないか?と思うほどで、高校時代何をしていたのか改めて考えてしまった。
そうしたら、私は当時図書委員を3年間ずっとやっていて、その図書委員は実は同人をやっている人たちの集団みたいになっていたのだった。それは私が別に始めた事じゃなくて、私が一年生の時に図書委員の先輩が同人をやっていて、いつの間にか私もそれに巻き込まれたのだった。でも、私の後輩にもそれは続き、とうとう後輩の一人はプロの漫画家になっている‥‥ようだ。
後はバドミントン同好会にも入っていて、バドミントンもしていたな〜。

でも、それ以外はどうやら何にもしていないようなのだった。

知らない人ばっかりの同窓会じゃ楽しくないかも〜とちょっと及び腰だったのだが、声を掛けてくれた学友が仲の良い友達だったので、何となく行く事にした。私にしては全く持って珍しい事なのだった。<かなり出不精。

行く前に卒業アルバムなども見てみたのだが、自分の脳細胞が死んでいる事を確認しただけだった。だって、顔写真と名前を見るんだけど、「あ〜懐かしい。そうそうこういう奴居たよね〜」と思う事すら無かったのだった。ひたすら誰だろう???って感じで。
もはや致し方ないので、お見合いでもするような気合いで(どういう例えだ)出かけたのだった。

会場に着いたらいきなり席はくじ引きで決めると言う。
おおお!!!只でさえ知らない奴ばっかりなのに、数少ない知り合いの隣に座る事も出来なくなってしまった私!!
もうやけくそに席に着くが、やっぱり誰も分からない人たちに囲まれたのだった。

「ごめん、あなたは誰だっけ?」
この言葉は既に枕詞と化していた。出席してくれた先生方以外は(どうやら先生の事は覚えていたらしい)、ほとんどの人にそう言っていた。そうしたら、周囲の人もそんな人ばっかりで、私はかなり安心したのだった。それもそのはず。この同窓会有志によるもので、同じ学年だという事だけで、クラスはいろいろ。同じクラスになった事の無い人も実は沢山居たのだった。だから、顔は見た事あるんだけど、誰だかは全然分からないという人たちの集合体になっていたのだった。

それでも同じ高校に通っていたという共通項があるだけで、結構親しく話せるきっかけはあるようで、会話はスムースに弾むのだった。

いろんな人と話す事が出来たのだったが、同じ高校に通っていても人の生き方はこうも変わってくるものなのかな〜と、しみじみしてしまった同窓会になった。
プライベートに関わる事なので、ここには書かない事にするが、普通の人と普通に自分の立場でいろいろ話すこと自体が珍しかった私は、いろいろ刺激を受けたのだった。しかも楽しかったし。

気がついたら結構の量のお酒を飲んでいたらしくて、今朝は酷い二日酔いになっていた。
午前中はほとんど人としての活動は出来なかった。

ごめん、ダンナ。

2005.07.08

舌の根も乾かぬうちに

元気な私はどこかへ飛んで行ったのでした。
頸肩腕、背中が非常にコリコリで、筋緊張性頭痛がものすごかったのでした。
とにかくまっすぐに身体を支えていられない。

あう〜。
薬をもらいました。

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